9日目 No1 リポンからファンテンズ修道院へ |
霧が濃く 露がかかった芝生はしっとりと緑の濃さを増していた。
昨夜 美味しいと思った夕食であったが
朝食会場は 披露宴が催されるような広間で落ち着かなかった。
早く終えて Akitoと外に出よう。
便利な芝刈りハサミだ。 じっと見ていると「Hello~」とお互い挨拶を交わし
天候が不安定で 雨も多く困ったものだ・・・と言っているように解釈した。
孫は道具を触りたいと近寄ったが 邪魔をせずじっと職人の様子を見ていた。
もう寒いから ホテルに戻ろう~と一人でトコトコ歩いて帰った。
1968年には世界文化遺産に登録され ナショラル トラストが管理している。
当時は豊かな土地で自然からも守られ 建築用の木材や石材も豊富で 水は川から自由に補給出来 土手の周辺にはいくつもの泉が湧き出ていた。
1132年の一世紀後にはイングランドで最も繁栄をきわめる修道院となったが 巨大な修道院には1000人ものシトー派の修道院が暮らしていた。修道僧にも階級があり石工・なめし革職人・靴や・鍛冶屋として働いていたが 主な仕事は修道院が保有の羊の世話であった。羊は西は湖水地方・北はティーズサイドに広がる農場に放牧されていた。羊毛は修道院にとって重要な収入源であったが 1400年頃になると 修道院の土地は膨れ上がり 管理に手が回らない状態になっていた。
14世紀に入ると飢饉や羊の疫病・スコットランド人の襲撃・ペストが流行し多くの修道僧が死んだため 働く男子がいなくなった。
修道院は所有していた農場を賃貸せざるを得なくなった。修道僧は賃貸料として現金や農産物を受け取った。15世紀後半になると牧羊に代わって酪農が発展した。
やがて修道院長を務めたマーマデューク・ハビーは周囲を圧倒する塔を建設した。1530年代になると ヘンリー八世は教会の影響力と独立を煙たがるようになった。また彼は教会の富を狙って全ての修道院と女子修道院を閉鎖した。最も裕福な修道院のファウンテンズ修道院が閉鎖されたのは最後の頃の1539年であった。
※ナショナル トラストが印刷した説明書を短くまとめた。
ヘンリー8世が 私欲や政治的のため この修道院を廃止に追い込んだが
イギリスの名所旧跡を回っていると ヘンリー八世の名がよく出てくる。
日本版の説明書を読むと 今も昔も変わらない出来事が起きている。
宗教が目的を怠り らしからぬことをし私利私欲に走るのはいつの時代も同じ。
(真面目な宗教もありますが・・・)
身の丈に合わせた暮らしを楽しみ 欲を出さぬが一番平和だと思った。
商売も宗教も ほどほどがいい。
このような歴史を考え残された建造物や石の構造物を見ると 物寂しさや空しくもある。
小川に沿って散歩をしたりランチを楽しんだり イングランド人の過ごし方は上手。
中では庭や他の建物の手入れに勤しむ様子も見えたが 管理は大変だ。
こうされると ご機嫌 ♪ ♫
今日の観光は盛りだくさん。次の目的地ローマ時代のバスを見にハロゲイトまで行こう。