建築士さんが倒れた |
10時のお茶を終え 次の現場に行くと言い軽トラに乗ったのを見送った。 その時に「もう一度 クロスの見本を持って また一度来ます」と・・・・
朝から何だか 変だな~と思うことがあった。
部屋に入った時 電源のスイッチが分からず「何処かな?何処かな?」と
「壁に掛かっています」と言うと 「はぁ~」と 初めて触れるリモコンのように見ていた。
どうしてリモコンが分からないんだろと思った。
実は 私も昨日から かなりの疲れが溜まり足も体も重かった。
体の全てがだるく腫れている様で この様のようなことは誰にでもあると思っていた。
(私の場合 こう思った時はスッと寝るに限る)
そうこうして11時半過ぎに クロス屋さんの電話が何度も鳴った。
「何 言うとんねん! 何? どこ?」クロス屋さんは大声で同じ言葉を言って
二人の会話が何かトンチンカンで ずれているように思って聞いていた。
「直ぐに行くからな!」と仕事を途中でやめてもらい しどろもどろになって話していることを聞き その今いる場所の確認を夫がアイフォンで確かめ急がせた。クロス屋さんが戻って来たのはとっくに昼を過ぎていた。偶々どなたか知り合いの方と会って その方が救急車を呼んだそうな~ 緊急入院になり小学校教諭の奥さんもご両親も駆けつけたから 戻って来たと・・・クロス屋さんは建築士と一緒に仕事をしていることなどを初めて詳しく知った。
病名は「脳梗塞」だった。
我が家の他に大きな寺・1軒の新築・古民家でも100坪以上の本家を同時進行し その本家と言う古民家はずいぶん古く土壁のリフォームに施主さんがこだわり過ぎて頭が痛い~と昨日伺った処だった。
私も急ぐため何でもいい・・・と言ったものの仕上げに近づくと もっと違った物はないか?他の色の方がいい・・・とか あらゆる希望を伝え聞いて頂いた。
決してご自分の好みなどは強制せず 黙って聞いているだけの静かな人だった。
この人は誰に対しても 感情を出さずのんびりした人なんかな~と思って接していた。
昨年から大きな仕事が溜まっていたと思った。
4月の震災で 真っ先に改築しなければ家が持たないと思いお願いしたが いつになれば聞き入れてくれるんだろう?と疑問だらけで 聞く処によると淡路島は強く言わなければ仕事を早くしてくれないのか?と殆ど諦めていた。 春には来客があるため早く修理が必要になり 期限を切って話を詰めて行った。
仕事も一段落して受け入れてくれたのかと思いきや あちこちの工事や設計が同時進行していたようだ。 大工さんが昔の彼のことを話してくれた。「若い頃 工務店で下働きの時は顔が険しくニコリともせず こき使われ頭ばっかり下げていたけれど 今は設計事務所を持って生き生きしている。ただ 段取りが遅く イマイチやけれどお客さんには好かれるな~」と話してくれた。
朝一番に会った人が緊急入院されたことで 私も気が動転してしまった。
クロス屋さんにもあちこちから電話が掛かってくるわ・・・対応に追われ仕事にならない日だったように思う。 この業界に限らず 田舎と言う所は噂が流れるのは早過ぎるな~と思った。
体や頭が疲れた時は 我が家ののんびり父ちゃんのように我関せずと言った風に 我が道を勝手に行くのが長生きするのかも知れないと思った。脳梗塞で倒れる前に何を喋っているか聞き取れなかったと聞いたが 今の病院より確実に良くしてくれる脳外科を早速教えてくれた人がいた。
それを聞いた夫が ろれつが回らないのは彼だけではなく 私は常に回らないので何かあればその病院に入れて欲しいと話した。スローテンポで次の言葉が出て来ないのである・・・よって 父ちゃんのはポンとたたけば言葉が出るのだ。
そんな冗談を言えるのも 夕方になって命が助かったと聞いてからだった。
救急車で近くの病院で処置をしたから 大ごとにはならなかったが
今後 リハビリと言語訓練が2週間続くと聞き みな一様に安堵したものの
工事が大幅に遅れそうな気がした。
また夜遅くには 建築士さんは高血圧で病院へ行くと時間が掛かるから今まで行かなかったとも聞いた。奥さんが仕事を持っているので 昼の食事も適当で 仕事に追われ寝不足だったこと等も要因かも知れないと思った。
そして救急で入院した病院から 私がこの間入院していた県病に転院したことも聞いた。
やはり 持病があれば時間を惜しまず 通院が必要ではないか・・・・
今日はドキマギして みんな建築士さんのことを思いながら仕事していた様子が伝わって来た。一日も早く良くなって この続きをゆっくりとでいいから 仕上げて欲しいと思った。
しばらく家のことは忘れて下さい。 急ぎません。
元気になって戻って来て欲しいと みんなで祈っています。
貴方の好きなコーヒーを一緒に飲みましょう~