退院してきました |
日曜日に退院して来ました。
普段 血液検査では異常がなかったのですが
昨年秋からの違和感がある痛みに あらゆる検査をしました。
今回は 卵巣と子宮を全部切除しました。
胃を全摘した関係かどうかは分かりませんが
腹腔鏡ではなく ちゃんと10数㎝を切ったのです。
年齢的には 切除しても構わない場所だと思いますが
親から貰った体・・・完全な形で残したいと思いましたが
色々な病気の好発部位だから 医師の丁寧な説明によって
安心して 切る気持ちになりました。
見た目・・・お腹にムカデが這ったような~
お臍から上には 23年前の傷がうっすら残っています。
よくぞ 今まで生かしてくれ 生きていることの重みを感じています。
メスを入れる度 精神的にも強くなり
日々を大切にし 今まで以上に無駄に過ごさない様にと思っています。
物や気持ちへの執着もなくなった気がします。
さて 家に戻ってから 気疲れもありましたが
病院のベッドが 体に馴染んでいたせいなのか
一睡も出来ませんでした。
やっと今日お昼寝が出来 何か差し込む痛みで目が覚めた処です。
暫くは このような状態が続くのでしょうね。
入院中徐々に良くなってくると 楽しみは三度の食事です。
お昼は何かな? 夕食は?と考えるだけで
単調な入院生活に 気を紛らわすことが出来たようです。
絹さやや錦糸卵 桜色でんぶ 生姜を上に乗せ散らし寿司は味付けが抜群!
どんなに食欲がなくても これを食べると薄味でも美味しいな~と感じます。
左のブロッコリーのサラダには 玉葱やささ身が入りドレッシングがgood!
親子丼は 幼い時から好きな献立の一つです。
実は 小3の時もリウマチ性紫斑病と血液の病になり 突然体が動かなくなり半年以上いまの病院へ入院しました。今なら治療法もあるでしょうが 50数年前は今ほど医学は進んでいなかったのでしょう。家族は諦めるしかなかったようです。
母方の祖母が もう生きる望みがなければ 好きな物を毎日でも食べさせようと思い 病気でみんなが庇ってくれるのを祖母や家族を独占したことに大きな勘違いをしたものの 好きな物がずっと食べられる喜びを感じていた記憶が残っています。
何日か経った頃 血液を調べると数値が良くなっていることに 病院のスタッフが喜んで医師が飛んできたことをハッキリと覚えています。病気の重さなど全く知らず 数か月ベッドで点滴を受けながら寝ていたことや 日に日にムーンフェイスで顔が膨らんだことも目が悪くなったことを覚えているだけでした。
私は親子丼が元気を取り戻してくれたんだ!と思っていましたが 良いお薬やお医者様は諦めずに様々な治療をして下さったのでしょう。
今なら 殆ど登校しなかった小3をやり直さなければならないと思いますが 3年から4年になった時の担任がファジーな考えの教師だったこともあり その教師のお蔭ですんなり そのまま神戸の小学4年(2学期)に転校出来たようです。
その担任は私を送り出した後 賭博で警察に捕まったことを後で知りました。
人間的には素敵な教師がそんなことは罪なのか?と
子供心に警察に捕まるのはどんなことなのか
あんな優しい先生の逮捕を いつまでも不思議に思っていました。
県医療センターでの第1回目の入院から
平成25年の悪性のメロノーマまで間が空きましたが
何故か この病院では3度も大事な命を救っていただいています。
病院とのご縁は これからも切ることは出来ないでしょう。
まだ 病院から離れることは出来ませんが
モヤモヤしていることを 一つずつ解決して行きたいと思っています。
最後に 手術後初めて口にした食事は↓ ↓
その日は たったひと口のご飯と
ピンクの中には薄い 薄いお味噌汁のお汁だけでしたが
このお汁を口に含むと「あ~生きているな~」と熱くなりポロリ~
食べ方にも お腹を慣らすための順番があり
スタッフの指導を正しく守ることで 早く良くなると思います。
知識のある方の言うことは 信じることだと思いました。
お肉の献立ばかり載せましたが お魚は毎日1回工夫した献立でした。
一人一人の患者の為に 医師 看護師 栄養士 清掃スタッフの方々全てに
感謝の気持ちを伝えたいです。
みんなに ありがとう・・・