初詣 |
私は 恩師の影響を受け今年から年賀状を書くのを止めた。
一時 止めることに気持ちは揺らいだがそうした。
昨年 高校時の恩師から「今年をもってピリオドを打ちます」と御年賀状を頂いた。
深い訳が書かれていて 尊敬する先生の思いに納得する事が出来た。
高校入学時 大学出たての初々しい教師は私よりも7歳くらい年上だった。
いつも綺麗で賢明で 悩みの相談やお話をして下さりみんなの憧れだった。
教師になりたいと思ったのは 私の思いや父の勧めもあったが
その先生がいるだけで存在感があり 理想の教師像だった。
(数年後 実習に行き挫折したが・・・)この話は置いといて・・・
私も同じ思いだったと気付かされ 思い切って止めた。
スッキリしている反面 頂いた方には夫の印刷にひと言を書いて出した。
それでも 今日は書初めの日とあって 筆を持ってみたが・・・
やはり性根が入っていないのだろうか?
落款には「福寿海無量」と彫られたのを押したが かなりずれた。
落款は展覧会で 篆刻家の我が師から分けて頂いた大事なもの。
この言葉の意味を教えて頂き 数ある篆刻の中で一番欲しいのを選んだ。
福寿海無量とは(ネットから引用)
「福寿海無量」という禅語の一節からの語で、直接的には「福でいっぱいの海」という意味です。
本来の「福寿海無量」とは、観音経の一節で、観世音菩薩の功徳は「福を聚めた大きな海のように量に限りが無い」という意味だそうです。その功徳とは、決して私たちにとって好ましいものばかりではなく、長い人生のなかの苦難や困難も含まれるとのこと。なぜならそれらの苦難も、自分という人間に人生の奥深さを知らしめ、より人間的・精神的に成長させるための方便だといえるから、なのだそうです。失敗を成功へのばねにして、不幸や不遇を幸福や勝利に結びつけようと努力する人にこそ観世音菩薩は微笑む。人生は心がけ、見方次第で「福でいっぱいの海」になりうる、という意味を含むのだそうです。
だ~れも いない。
新年の賑わいや派手さはなく寂しいけれど 厳かな気持ちになれた。
おみくじはまさかの大吉。
いつも小吉だから 嬉しい様な~
大吉に甘んじず気を引き締めて精進のみ。 今日もいい日だこと。
さぁ~お参りを終えて 今日は何をする?
こんな時が 一番楽しそう。