長い間の感謝 |
私たち一家が父の仕事のため 神戸に向ったのは52年前。
この間 4人の方がこの田をお世話してくれ
耕運機を運転している方は 父子二代にわたって見て下さった。
田が戻る話は 数年前から話には出ており もし作ることになれば
主人が仕事を辞めなければいけないな~と
不安神経症になるような心臓がピクピクなる こんな話が数年続いた。
なぜなら 耕運機や農作業用の機械など一切持っておらず
農業の知識やJAとの付き合い方も分からず 年齢的な不安もあった。
昨年 主人がリタイアし 田が戻って来る話が再燃した。
まさかと思っていたが 今年3月で作ることを止めたいと言ってきた。
慌てふためいた。
終の棲家となる私の生家にリターンを決意したのは 昨年11月半ば。
3月戻ってくるのを避けたかった。
もう半年間 無理を言い 作って欲しいとの要望を聞き入れて貰った。
ありがたかった。
その期限も先月9月末で 二者間に入って貰った農業委員会に同意書を届けた。
市の農業委員会の定年まじかの担当男性に会った。
耕作者がいないことを承知で 次にどなた作ってくれる方がいないか尋ねた。
昼前だったのか男性はそわそわし 全く耳を傾けてくれようとしなかった。
農業の話を聞いても一言もしゃべらず・・・・Why?
事務的に書類1枚を処理するだけの心なき態度に飽きれた…うろたえた。
その私達の様子を 少し遠くで見ていた女性職員がやって来て
「その田を作ってくれる人を探すから 待ってて!」と… 希望が見えた。
農耕してくれる方がいなくても その一言がどんな言葉より嬉しかった。
10月に入って男性グループと もう一組若い夫婦が見に来た。
脈がありそうだったが 住まいが決まらないようで返事はなかった。
努力してくれる熱心な市職員。
市民が困っていることに 全く動じない市職員。
それでいいんですか?
何のため 貴方は役場に勤めたのですか?
親切で 困った時に親身になって助ける人間になりましょうよ。
涼しい風が吹き出した9月末 稲刈りも終え
あとは耕運機で土をならすだけとなった今日
まさに 52年ぶり 我が手元に戻ってきた。
最後に 草刈りも綺麗にして下さった。
貴方やご両親 今まで作って下さった方々 心から感謝の気持ちでいっぱいです。
天国からお祖父さんお祖母さん
そして 誰よりも両親が言葉に言い尽くせない位の大きな感謝でいっぱいだと思います。
今日はゆっくりお疲れを取って 休んでくださいね。
耕運機で耕してくれ 草刈りまでして下さってありがとうございました。
最近 体調も良くないと聞いています。
貴男のご健康を 心からお祈りいたします。