息子が33歳になり・・・ |
私が一人で迎えに行くのは久しぶり・・・
第二神明はとんでもない渋滞で 3時間半掛かって帰宅した。
図書館で借りた本を見ながら 歌を聴き 唄い 長い道のりであったが
そんなに長時間のろのろ走行したとは感じず
息子と二人 別の楽しみ方が持てた様で少しもイライラしなかった。
帰宅後 夕飯の準備を早め 息子が大好きな水炊きをした。
立つのがやっとで フラフラしながら野菜を切った。
運転中は感じなかったが いつも車に揺られる感じだった。
夕飯を終え お風呂に入ると少しはシャンとしたが
時に睡魔が襲う中 息子は目が爛々として数分寝ては起き~の繰り返し。
今朝まで 何となく気分が優れなかった。
息子もいつもの様に一睡もしていないため 朝方ついにダウン。
短い時間でも 横になっていたので少し安心したが
ご飯の話をした途端 さっと起き上がった。
食べる話には敏感だ。
美味しそうにパン サラダ ハム 玉子などを食べる息子・・・33歳。
昨日 普段の日には滅多に連絡してこない娘から
「卓也 32歳おめでとう!」と来た。
そこで 本当は何歳か分からなくなり「何歳なんだろう? 34歳?」と
訳が分からない返信をした。
昨日はふらついて頭がまとまらなかったけれど メールのやり取りは覚えていた。
そのことを夫に話すと「どっちも いい加減やな~」と呆れていた。
自分の年齢もいい加減なので これ位の差はほぼ正解!
年齢がいくつであろうと 生まれた時から背負った重さに耐え
今まで生きていてくれたことが 私達の生きる糧となっている。
毎日しんどくても 沢山の人に助けられ愛情を注がれ見守られている。
娘は誕生日に 生まれてきたことを親に感謝すると 自分の子を持ってから言ったが
もし言葉が発せる事が出来るなら 息子はどんな言葉を掛けてくれるだろう?
人が生まれて来るには大きな意味があると思う。
特に息子が生まれたことは 私にとって とても深い意味があった。
今 こうやって生きていてくれることが 心から嬉しいが
悔やんでも悔やみきれないことだってある。
もっと健康な親だったら させないで良いこともあったと悔やむ。
少しでも息子に償いながら 落第点を取らない明るい母親を続けたい。
誕生日は特にお祝いのセレモニーもなく
小さなチーズケーキをカットして食べた。
細いカラフルなろうそくを立てると 少しはにかんだ。
「卓也 おめでとう!」
お昼は 夫が育てた野菜たっぷりのシチューを作った。
ささやかなお祝いだったが 美味しそうに3杯もお代りをした。
昨日の話では
お姉ちゃんがチョコレートを買って来てくれるそうよ~
良かったね。